昭和41年10月16日 朝の御理解
昨夜もちょうど何事にも終わりましたのがちょうど二時でございました。一番最後に、あの、神饌所の前に大盛りを出しておりましたけれども、お三方の果物と、それから野菜が壊れてしまった。それでまた、それを綺麗に洗って、また盛り直さしてもらった、秋永先生が盛り直されました。それがおかげでかえって綺麗に出来たと言うて盛らして頂いたんでございますけれども。
椛目の歴史と申しましょうか、今まで十六年間ここに来らして、道が開けて、おかげを蒙ってまいりましたが。振り返りますと、ほんとに山あり谷あり、それこそ山を超え、谷を渡って今日に至ったのですけれども。どういう山があり、どういう節がございましても、どんなにそれが壊されましても、その、かえってこれがおかげを頂いたというような事ばっかりであったということなんです。
この節があったから、節から折れたと、ね。あの山だけはとうとう越えきらやったとか。ね。ほんとにああゆう恋しかったこと、または楽しかったことがです、であればある程に、おかげを一段と受けてきたという事実でございます。私は、お道の信心はこれでなからなければならんと思うのです。ね。振り返ってみて、あれもこれもみんながおかげであったというおかげ。人間、生身を持っておりますから、やはり崩れもすりゃ壊れもいたしますような事もございます。
けれども、おかげでかえって綺麗に仕上がった、出来たというようなおかげ。皆さんそれはどういうような事が一番そのおかげを、いよいよおかげたらしめたかと申しますとです、これはいわば、私の信心がです、信心だとこう申しますとちょっとおかしいですけれども、私や皆さんの信心がです、ほんとに神様の思いというか神愛を神愛と頂き抜いておかげを頂いてきたのだとこう思います。ね。
あれがああした。これがこう言うた。かんしゃくまわすごと歯痒い、と言うような事ではなくて、もうあれではない、これではない。もう神様がああして下さると。神様がこう言うて下さると。ね。おかげで・・・というのである。それが神様が・・・といって、そげなことが神愛なんです。ね。痛い思いをすることもあるけれども、冷たい思いもそれとても神愛の表れであったと。それは、私はほんとに確信し抜いて、おかげを頂いてきたことが今日のおかげになっておると私は確信します。ね。
その事によってひとつも煩(わずら)はされてない。その事によってひとつも縮んでもなければ、細々にもなっていない。いや、むしろそれが伸びる基になり、大きくなる基になり、いよいよその事によって力を受けてきたということ以外にないのですから。ね。振り返ってまた思うことは、なるほど一切が神愛だなという事を感じんわけにはまいりません。椛目の信心の稽古をさして頂くならです、私はどうでもここんところを体得さして頂かなければならんと思うです。ね。
確かに、難あって喜べ、難はみかげと、教祖の神様も四神様もそれ仰っておられますけれども。その難という言葉ですら、じつはつこうては不定だと私は思うです。難じゃない。神愛て。ね。いよいよ今日は、ここ椛目での御大祭の最後の御大祭を奉仕することになります。椛目最終の美をいよいよ、私を始め皆さん一同で飾らして頂かなければならんと思うております。ね。私は御大祭が、私ひとりの御祭りじゃない、皆一同の者の御祭りだというふうに確かに申しますけれども、私は思うのです。
やっぱり大坪総一郎ひとりの御祭りだと私は思うです。ね。一人がおかげを受けた為に千人も万人もの者がおかげを受けるようになると。人の手本になるような信心をせよと仰る。まあいうならば、私一人がおかげを受けた為にここに千人も万人ものおかげを頂く事になるのであって、やはり御礼申し上げるのは、やはり私だ。私一人の御祭りだというふうに感じますように、それぞれがです、一人ひとりがです。
椛目にお引き寄せを頂かれる皆さんの一人一人がです、やはりこれは一緒に、私一人の御礼の御祭りというふうにお頂きにならなければできないと思います。ですから、一人ではないのです。ね。それもそれならば、只今私が申しますような、教祖の神様がこういう尊いお道を開いてくださった。そのお道というのは、只今私が申しますように、この世の中に難儀な事というのはないのだと。難はみかげなのだと。ね。難はあって喜ばせて頂けれるものであって、難はみかげのもとなんだと。
喝破され、そのことをそう分かられ、その事を私共に教えて下さり、伝えて下さった教祖の神様の教祖御大祭。その事を分からして下さった御礼の御祭り。それが、私は教祖大祭でなからなければならんと思います。いよいよ十時から、所謂ここにひろげられる御祭典に、愈々そういう思いをひとつにして今日の御祭りが奉仕されますことをです、お互い願いとしておかなければならん。どうぞ、ね、はあ崩れてしもうたと。ね。けれども、おかげでかえって立派になったというようなおかげをいよいよ確立していかなければならんと思いますね、めいめいの上に。
どうぞ。